28日・29日は、ドゥブロヴニクに滞在しました。
ここは「アドリア海の真珠」とうたわれる美しい町並みを誇り、世界遺産に登録されている所です。
魔女の宅急便のモデルになったとか。
海もキレイですが、レンガ色が揃った屋根屋根がまたキレイ。しかしこれは、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力の砲撃により多大な被害に遭い、そこから修復したからかも知れません。
港に着いた初日は、予約していた宿の住所をメモっていなかったため、美しい坂と階段の町を廻りまわって半日以上。仕方なくネットカフェに入って予約の控えを確認して改めて宿に向かいました。
住所通りの所に行っても予約のホステル名「Villa Banana」という表札は出してません。
仕方なく呼び鈴を押し中へ入り家の人に聞くと「そうよ。ここがVilla Bananaよ。」看板を掲げずに営業しているのかも知れません。
そしてパパ、ママ、娘さんが大歓迎でむかえてくれて、ウエルカムドリンク&スナックまで出してくれました。嬉しい事に、庭で育てているマンダリンも出してくれて、「フリーで採って食べてくれていいからね。」との事。有り難い宿でした。
滞在中の対応は濃くなく、普通の宿の様に構い無く過ごさせてくれました。
部屋前のベランダから見たアドリア海の景色
夕日もキレイです。
29日は、旧市街を散策。
市街地入口前の海
港から丘を見上げる
色んな教会の中(外は工事中などでキレイに撮れなかったので)
街の路地
旧市街地のにゃんこ
港のにゃんこ
旧市街地はキレイですが、やはりここはヨーロッパのリゾート地。観光客が多いです。アジア人もちらほら。
30日は、普通の町を散策。
クロアチアは、11月1日は万聖節で祝日になります。
日本のお盆やお彼岸に当たるもので、数日前から町中で菊やロウソクが売られていました。
宿の近くのバーに昼間からおじさんが集まってたので、ワインはある?と仲間に入れてもらう。
ワインは量り売りもあるみたい
ドゥブロヴニクは、やはりキレイでいい町ですが、今の時期は寒かったので、夏に来たら(海の色ももっと綺麗で)サイコーだろうなぁと思いました。(まあ、すごく高くつくと思いますが、、)
2010年10月29日金曜日
25~27日は、バーリ(イタリア)
バーリは港町で結構都会です。
宿を予約していなかったので、ネットの情報にあったスポーツ施設にあるユースホステルに一応向かってみる事に。
情報通り12番のバスに乗りましたが、目印の[SEA WORLD]という看板が見当たらなくて降りるバス停が分からず終点まで行ってしまいました。
運転手さんに聞いたら、「反対回りのバスに乗って10分位だよ。」との事。
この旅では珍しくこの日は雨で、雨の中バスを待つ事に。
やっと来たバスの運転手さんにも説明してたら、他の乗客の人も聞いてくれて運転手さんと「あの場所じゃないか。」と分ってくれた様。
そして「ココだよ。」と教えてくれた所で降りました。でも探している施設がどーしても見つかりません。地図的に同じ様な所に別の施設が在りました。
おそらく潰れちゃったので看板も無くなっていたのじゃないかと・・・。
「それじゃあもう次の目的地ドゥブロヴニクに船で行っちゃうか!」と駅に戻って港まで20番のバスに乗ります。港に着きフェリーターミナルで窓口に行くと「次の船は27日(水)発だ。」と。
2泊どうしようかと思いツーリストインフォメーションで聞いてみると、近くにまあ何とか手頃な値段でB&Bホステルが有るようなので行ってみました。
すごく近いハズなんですが、これがまた分かりづらくしばらく迷ってると、町の人が「B&B探しているならココだよ。」と教えてくれました。しかし13時を過ぎていて宿には人が居ない様子。
扉に電話番号があったのでさっきの人が、「電話してみたら」って言うけど「電話掛けられない」って言うと電話してくれて「5分位で来るって!」と親切にしてくれました。
しばらくすると(さすがに5分ではなかった)宿の人が来たので手続きをします。「チェックアウト時間には鍵を置いて出て行ってくれていたらいい。」との事。どうやらほとんどココには管理者は不在の様です。
気楽でいいかと思いましたが、朝食の数が人数分無かったり、キッチンは有るけど火は使っちゃいけないし、トイレットペーパーの補充がされなかったり結構不便なものでした。(電気も何ケ所か点かないし、、)
気を取り直し、街の散策に出掛けました。でもバーリの街自体は、あまり見所ってなさそうで。
一応宿の辺りは旧市街地で雰囲気はあります。
住宅地にさりげなく遺跡っぽいもの
サン・ニコラ聖堂
サン・サビーノ大聖堂
夜の街も綺麗です。
ノルマンノスヴェヴォ城も近くに在りましたが写真は撮ってません。
26日は、日帰りでマテーラ(イタリア)まで行きました。
マテーラは、洞窟住居があり世界遺産にもなっている町です。
バーリ中央駅を出て左手にある私鉄FALでマテーラ中央駅まで約1時間半。
左はマテーラ⇒バーリ 右はバーリ⇒マテーラ
地下にもぐってすぐの駅です。
駅を降り看板に従って歩いて進むと10分程度でVittorio Veneto広場に着き、洞窟住居エリアSASSIサッシの入口が。
最初は、谷間に造った古い町だな~ぐらいの景色でしたが、、、。
街の端に来ると、谷間の向かいに洞窟住居跡が。
今の街の下にも洞窟住居が。
岩場をくり抜いて建ててます。
この景色写真では分りませんがものすごい遠近感。
来てよかった~と思う所でした。
27日も、日帰りでアルベロベッロ(イタリア)まで行きました。
この地域には、トゥルッリと呼ばれる形の家があります。この町も世界遺産に指定されています。
バーリ中央駅の一番奥にあるホームが私鉄のSud-Est鉄道の駅になります。切符もそのホームで買います。
アルベロベッロ駅まで約1時間半。
これがアルベロベッロ駅
駅から歩いて10分位の所が町の中心地です。
トゥルッリはこんな家。
普通の住宅に混じって残っています。
お土産物屋さんは、キレイに建てられています。
教会もトゥルッリ。
天井はこんな感じ。
町は小さいので1~2時間程度で回れます。かわいい町なので、日本の団体観光客も来ていました。
宿を予約していなかったので、ネットの情報にあったスポーツ施設にあるユースホステルに一応向かってみる事に。
情報通り12番のバスに乗りましたが、目印の[SEA WORLD]という看板が見当たらなくて降りるバス停が分からず終点まで行ってしまいました。
運転手さんに聞いたら、「反対回りのバスに乗って10分位だよ。」との事。
この旅では珍しくこの日は雨で、雨の中バスを待つ事に。
やっと来たバスの運転手さんにも説明してたら、他の乗客の人も聞いてくれて運転手さんと「あの場所じゃないか。」と分ってくれた様。
そして「ココだよ。」と教えてくれた所で降りました。でも探している施設がどーしても見つかりません。地図的に同じ様な所に別の施設が在りました。
おそらく潰れちゃったので看板も無くなっていたのじゃないかと・・・。
「それじゃあもう次の目的地ドゥブロヴニクに船で行っちゃうか!」と駅に戻って港まで20番のバスに乗ります。港に着きフェリーターミナルで窓口に行くと「次の船は27日(水)発だ。」と。
2泊どうしようかと思いツーリストインフォメーションで聞いてみると、近くにまあ何とか手頃な値段でB&Bホステルが有るようなので行ってみました。
すごく近いハズなんですが、これがまた分かりづらくしばらく迷ってると、町の人が「B&B探しているならココだよ。」と教えてくれました。しかし13時を過ぎていて宿には人が居ない様子。
扉に電話番号があったのでさっきの人が、「電話してみたら」って言うけど「電話掛けられない」って言うと電話してくれて「5分位で来るって!」と親切にしてくれました。
しばらくすると(さすがに5分ではなかった)宿の人が来たので手続きをします。「チェックアウト時間には鍵を置いて出て行ってくれていたらいい。」との事。どうやらほとんどココには管理者は不在の様です。
気楽でいいかと思いましたが、朝食の数が人数分無かったり、キッチンは有るけど火は使っちゃいけないし、トイレットペーパーの補充がされなかったり結構不便なものでした。(電気も何ケ所か点かないし、、)
気を取り直し、街の散策に出掛けました。でもバーリの街自体は、あまり見所ってなさそうで。
一応宿の辺りは旧市街地で雰囲気はあります。
住宅地にさりげなく遺跡っぽいもの
サン・ニコラ聖堂
サン・サビーノ大聖堂
夜の街も綺麗です。
ノルマンノスヴェヴォ城も近くに在りましたが写真は撮ってません。
26日は、日帰りでマテーラ(イタリア)まで行きました。
マテーラは、洞窟住居があり世界遺産にもなっている町です。
バーリ中央駅を出て左手にある私鉄FALでマテーラ中央駅まで約1時間半。
左はマテーラ⇒バーリ 右はバーリ⇒マテーラ
地下にもぐってすぐの駅です。
駅を降り看板に従って歩いて進むと10分程度でVittorio Veneto広場に着き、洞窟住居エリアSASSIサッシの入口が。
最初は、谷間に造った古い町だな~ぐらいの景色でしたが、、、。
街の端に来ると、谷間の向かいに洞窟住居跡が。
今の街の下にも洞窟住居が。
岩場をくり抜いて建ててます。
この景色写真では分りませんがものすごい遠近感。
来てよかった~と思う所でした。
27日も、日帰りでアルベロベッロ(イタリア)まで行きました。
この地域には、トゥルッリと呼ばれる形の家があります。この町も世界遺産に指定されています。
バーリ中央駅の一番奥にあるホームが私鉄のSud-Est鉄道の駅になります。切符もそのホームで買います。
アルベロベッロ駅まで約1時間半。
これがアルベロベッロ駅
駅から歩いて10分位の所が町の中心地です。
トゥルッリはこんな家。
普通の住宅に混じって残っています。
お土産物屋さんは、キレイに建てられています。
教会もトゥルッリ。
天井はこんな感じ。
町は小さいので1~2時間程度で回れます。かわいい町なので、日本の団体観光客も来ていました。
24日は、カターニャからバーリ(イタリア)へ
10月24日22時カターニャ発の夜行バスに乗って25日朝、到着予定時間から2時間遅れて8時頃イタリア本土のバーリに着きました。途中数分のみバスごとフェリーに乗ってメッシーナ海峡を渡りました。
2010年10月19日火曜日
19日は、夜行船でナポリからシチリア島(イタリア)へ
19日は、20時頃の船でシチリア島へ向かいます。
なかなかブログが進んでいませんが、、、。
追記
椅子席夜行船一人50.7ユーロ(約5740円)
20時15分ナポリ発6時30分パレルモ着
なかなかブログが進んでいませんが、、、。
追記
椅子席夜行船一人50.7ユーロ(約5740円)
20時15分ナポリ発6時30分パレルモ着
16日は、ローマからナポリ(イタリア)へ
16日は、ローマからナポリへ来ています。
治安が悪いと聞いてますが、今のところ問題無し。
しかし、街中ゴミだらけ。数年前から「ゴミ問題」としてあったのですね、、、。
追記
電車で移動
ローマ12時45分発15時20分着
2等一人10.5ユーロ(約1200円)
治安が悪いと聞いてますが、今のところ問題無し。
しかし、街中ゴミだらけ。数年前から「ゴミ問題」としてあったのですね、、、。
追記
電車で移動
ローマ12時45分発15時20分着
2等一人10.5ユーロ(約1200円)
2010年10月14日木曜日
14日はオルヴィエート(イタリア)経由でローマ(イタリア)まで
14日は、朝9時13分フィレンチェ発の2等列車に乗ってオルヴィエートに11時56分到着しました。
オルヴィエートからさらにバスで45分行った所にチヴィタ・ディ・バーニョレッジョという村があります。ここはモロッコ宿で知り合った人に教えてもらったのですが、「死に行く町La citta che muore」とも「天空の町」とも呼ばれています。(ラピュタのモデルになったとも。)
死に行く、、というのは、主要の町から橋1本だけで結ばれた断崖絶壁の丘の上に残った現在住人が20人程しか居ない村だからです。
最近では観光客も増えて、村や教会も修復などされてきているようです。古くのんびりした村です。しかし、本当に車も通れない橋だけで、その先は坂もあり、なかなか住むのは大変そうです。
手前の町から見たチヴィタ
村のおばあさんが家の一部をどうぞどうぞ見せてくれました。
古い道具が残されています。
何件かあるレストランでパスタをいただきました。ボルチーニ茸がおいしい
景色はとても素晴らしい所ですが、人と地形的にと、後どれだけの年月在り続けるか分からないなぁと思いました。
オルヴィエート駅前とバニョレッジョバス停を結ぶバスは1日数本しかありません。(時刻表真ん中)
オルヴィエートからバニョレッジョ行き
バニョレッジョからオルヴィエート行き
オルヴィエートからさらにバスで45分行った所にチヴィタ・ディ・バーニョレッジョという村があります。ここはモロッコ宿で知り合った人に教えてもらったのですが、「死に行く町La citta che muore」とも「天空の町」とも呼ばれています。(ラピュタのモデルになったとも。)
死に行く、、というのは、主要の町から橋1本だけで結ばれた断崖絶壁の丘の上に残った現在住人が20人程しか居ない村だからです。
最近では観光客も増えて、村や教会も修復などされてきているようです。古くのんびりした村です。しかし、本当に車も通れない橋だけで、その先は坂もあり、なかなか住むのは大変そうです。
手前の町から見たチヴィタ
村のおばあさんが家の一部をどうぞどうぞ見せてくれました。
古い道具が残されています。
何件かあるレストランでパスタをいただきました。ボルチーニ茸がおいしい
景色はとても素晴らしい所ですが、人と地形的にと、後どれだけの年月在り続けるか分からないなぁと思いました。
オルヴィエート駅前とバニョレッジョバス停を結ぶバスは1日数本しかありません。(時刻表真ん中)
オルヴィエートからバニョレッジョ行き
バニョレッジョからオルヴィエート行き
登録:
投稿 (Atom)