2010年11月24日水曜日

22日は、イスタンブールからパムッカレ村(トルコ)まで

22日は、イスタンブール22時発の夜行バスで、翌朝8時にパムッカレへの起点の場所デニズリ着予定でした。
トルコのバスはサービスがいいと聞いていましたが、私達が乗ったパムッカレ社のバスも快適でした。
まず、乗ってしばらくすると、サンドウィッチとドリンクのサービス。座席の前には画面が有り、映画・音楽・ゲーム等が楽しめます。そして車内でwi-fiが使えるので、iPhoneで検索も出来て、USBでなら充電も出来ます。
朝は、ドリンクとスナックが配られました。
なんだか、シンガポール航空のバス版って感じです。

そしてバスでは珍しく、予定より1時間早い朝7時にデニズリに到着しました。
降りた時人がいっぱいいたのですが、すぐ人気が少なくなりました。私達は、パムッカレ村の宿に泊る予定ですが、大抵の人はここに泊るようです。理由は、後で分かりましたが、パムッカレ村には、世界遺産は有りますが、それ以外には村も小さくて観る所する事が何もない村だからです。

デニズリからは、ミニバスに乗って1時間位でパムッカレ村に着きました。ガイドブックには、30分程とあったのですが、出発時点の客数が少なかったので、何回もお客さんを拾う為に途中ゆっくり走ったりしたからです。

2010年11月20日土曜日

17日は、オフリドからイスタンブール(トルコ)へ

17日は、オフリド17時発の夜行バスで翌朝イスタンブールまで着きました。
11時間の移動で朝5時(時差1時間)に着く予定でしたが、2時間遅れの朝7時頃到着。
早朝着便はむしろ遅れてくれる方が嬉しい。
着いたのは町の中心地より西側のエセンレルにあるオトガル(バスターミナル)。
広い敷地に数え切れない程のバス会社の建物があり、今まで見てきた中で一番大きなバスターミナルです。

トルコは2年前の正月旅行の時の行き先候補の一つでしたが、その時はギリシャに決定。
この旅でもっとも行きたい場所カッパドキアのある国です。

16・17日は、オフリド滞在

16日朝は、遅い目に起きました。
部屋にはこんなレトロなテレビが置いてありました。

挨拶をして旧市街を散策しに出掛けようと下の階に降りると、宿の奥さんがコーヒーをすすめてくれるのでいただく事に。
ターキッシュコーヒーをたっぷりと。
スイーツは、おばあさん手作りの杏のシロップ漬け

この宿はHostelworldやFacebook等のネットだけでお客さんを呼んでいるそうで。
家の開いている部屋を貸すだけで、宿泊施設とかの許可を受けていないから看板とか出せないんだろうな。
奥さんがオフリド湖の南端のSt.Naum辺りがキレイとお勧めしてくれるので翌日行こうと決めました。
オフリド地域とオフリド湖は世界遺産に登録されています。
オフリド湖はアルバニアとマケドニアに挟まれて有りますが、世界遺産登録はマケドニア側のみ。
面積は358km²なので、琵琶湖の半分ぐらいでしょうか。
丘の上のサミュエル要塞の城壁とマケドニア国旗

まだまだ遺跡発掘中

聖ヨヴァン・カネオ教会

ここら辺の教会は一律入場料100ディナル(約194円)必要です。
入っちゃったのでこっそり写真を撮らしてもらいます。

小さな教会でした。

聖ソフィア教会(ここは入らず)

 (学生さんが熱心に説明をきいています。)

下から見上げた城壁と旧市街の街並み

聖クレメント教会

フレスコ画が見事に残っている教会です。



17日は、St.Naumセントナウムへ行く事に。しかしあいにくの雨。
バスターミナルから約 分と聴いていましたが1時間弱で到着です。
看板を見ると奥に泉が有るらしい。

林の奥に入るとこんなのが!

でも野生ではなかったようです。
ぐるっと林を廻ってみましたが、泉らしきものが見当たりません。
でも川はキレイ。

雨じゃなかったらもっとキレイな景色が観れるんだろうなぁ。
そして帰りのバスを待ちますが、2時間程は来ないような感じ。
宿に荷物を預けているし、夕方出発のバスに乗って移動する予定だしあせっていると、お客を乗せて来たのか空のタクシーが「バス代で乗せて行くよ。」と声を掛けて来てくれた。
途中他のお客さんも積みながらだったので、バスより早いとまではいきませんでしたが、なんとか次のバスにも間に合いました。

15日は、ティラナからオフリド(マケドニア)まで

15日は、19時30分発のバスに乗ってストゥルガ(マケドニア)に23時30分に着き、そこからタクシーで2,30分程でオフリドに着く予定でした。
しかし、出発が30分遅れた上に、アルバニアとマケドニアの国境より前のレストラン(休憩)1時間以上も待ちぼうけ。ようやく出国・入国のパスポートコントロールが終わった時はすでに日付けが変わっていました。その上、マケドニア側から来たバスとチェンジするとかしないとかでモメて、バスを乗り換えストゥルガに着いた時は1時半頃。バスチケットを買ったお店では、「降りたら直ぐにオフリド行きのタクシーが拾えるから大丈夫」と言われていましたが、全くなんにも無い所に降ろされたました。
こんな夜中にタクシーなんかつかまらないよな~と諦めかけた時、少し先の交差点でタクシーを発見!
駆け寄り「オフリドまでO・Kか?」と聞いたらO・Kで、料金も聞いてた通り5ユーロで行ってくれるとの事。またもや私達ついてるかも!と思いながらオフリドまで乗せてもらいます。
オフリドの中心地で停められ、このままここのホステルまで行って欲しいと言ってみたものの、地元の運転手さんじゃないので、他のタクシーに乗り換えてとの事。
「近いハズだし、もういい。」と歩きました。
googleの地図を頼りに行った辺りには、ホステルの番地が見当たりません。
あっちこっち路地を入り、ようやく大通り沿いに番地を発見。
でも、ホステル名は書いてないし、門は閉まってるし。ここじゃないのかな。
もうその時すでに早朝4時頃だったので、申し訳ないと思いながら、電話を掛けてみる事に。
するとやはり目の前の建物の電話が鳴って電気が点きます。
やった!と思い事情を話すもののなんだか話が通じず電話が切れます。うわ~こんなに夜中だから怒っているのかな?でもこのまま外に居たら寒いしもう一回チャレンジ。
また出てくれてくれてとりあえず入れて欲しいとお願い。
電話が切れたのでダメかと思ってると扉が開いて家の人が出て来てくれました。
どうやら、電話に出てくれたおじいちゃんは英語が分からないらしく、もう一人男の人が出て来てくれました。
事情を話し、とりあえず部屋に入れてもらいなんとかベッドで眠ることが出来ました。

14日・15日は、再びティラナ

14日、日曜日だからと朝食を遠慮したのに、バス停にTommyが見送りに来てくれました。
サランダを8時30分に出発します。
行きと違って、ちゃんとした長距離大型バスに乗れたのでちょっと楽ちん。
しかも一人1200レク(約1032円)。行きの日本人夫婦が乗ってきた1300レクよりも安い。
バス道からは、こんなものが景色の中に時々見えました。

調べてみると、これらはアルバニアが鎖国の時、敵対的国際環境から国民を守る為にと、1974年~86年の間に75万も作った防空壕(トーチカ)だそうです。
再びティラナに着いたのは16時頃でした。
荷物を預けていた宿に戻り、夕食の店を探します。
コトルで知り合った日本人に、ホステル前のRrunga Qemal通りに羊の頭を食べさせてくれる店があると聞いたのですが、見つからずこの日は外食を断念。宿の人に聞いてみると、近くの市場の辺りにあるとの事。次の日に期待。
昼間のRrunga Qemal通り(自転車屋と家具屋がなぜか多い)


15日はやっと、昼間のティラナの街を見て回る事が出来ました。
ティラナにはカラフルな建物が何故か多い。しかし、それよりもこのUFOユニバーシティーって何。
本屋やカフェが入っているビルで大学では無いようです。

博物館等は興味が無かったので、結局昼間市場に行ってみる事に。
活気ある市場

しかし、鶏の丸焼きを売っている店は見つかっても、羊のお店はなかなか見つかりません。
市場の人達に画像を見せて聞き込み調査をすると、何人目かにあっちだと教えてもらいます。
市場の奥の真ん中辺りにありました。こんな店です。

近くで見ると

2人で頭1つと鶏の丸焼き1つとビールを注文
半分だと150レク(約130円)

恐る恐る食べましたが、味は やはり鶏肉の方が美味しかったです。

2010年11月16日火曜日

12日・13日は、サランダ(アルバニア)にて

12日は、Tommyにトラデショナル朝食を用意してもらい、8時半のバスに乗りギロカスタル(アルバニア)へ。2時間弱で到着。
ここは、世界遺産に登録されていて、城塞と石造りの家屋の旧市街地が有ります。
バス停のある幹線道路から20分位丘を登ると旧市街の入口です。
丘の上に見える城塞

丘から見下ろした街(遠くにスタジアムが見えます。)

ギロカスタル城への入場は200レク(約170円)必要ですが、かなりさびれた城でした。



昼食は地元のおじさんに混じってこれを250レク(約220円)で

ちょっと歪んでいる橋のマーク

帰り道この看板の写真を撮っていたらすぐ横のお店のおばちゃんがマンダリンをくれた。

そして、幹線道路に出ていつ来るのか分からない帰りのバスを待ちます。
腰かけてさっきもらったマンダリンを食べていると一台の車が停まりました。
「乗って行かないか?」と声を掛けられ「お金ないよ。」と言ったら問題ないとの事。
躊躇しましたが、バスを何時間待つかも分からなかったので、乗せてもらう事に。
2人共仕事からサランダの家に帰る所で同じ会社の先輩後輩のようです。
日本のメーカー名を良く知ってると思ったら、建築技術者で日本とも取引があり、東京にも来た事があるそう。イタリア語・ギリシャ語・英語が話せるそうで、私達の英語力の無さに苦笑い。
途中お店で、先輩のローランドがビールを買ってくれたりとても親切。
次の日また会おうと電話番号を教えてくれました。
その日の夕食は、Tommyに地元料理のお勧めの店を教えてもらい、お勧め料理まで教えてもらいました。
サラダ(フェタチーズが乗ってます。)

ピーマンにお米が入っています。

見栄えは悪いですが、ナスの炒め物 めちゃ美味しい


13日もまた8時半のバスに乗り、ブルー・アイまで40~50分で着きました。
ここは、前日ローランドに車で送ってもらった時に知った所で、キレイな泉が有るとの事。
運転手にはブルー・アイまでって言ってたのに、バス停ではないので通過しそうになり、慌てて下車。
バス道からこんな看板が見えます。

しばらく進むと大きなダムに。ブルー・アイから流れて来てる水なので色はキレイ。

3Km程歩くと一番近い泉に辿り着きます。



7.5㎥/秒と湧き出る水も多く、10℃しかない泉を相方は泳いでました。
夏季にはキャンプ等に来る人が多くカフェやロッジも建っていましたが、今はシーズンオフなので人も少なかったです。
森の奥には17の泉がまだあるらしいのですが、地形も分からない私達は断念して帰りました。
サランダに戻り街や海辺を散歩しましたが、する事が無くなったので、ローランドに電話してみる事に。
数分後に車で迎えに来てくれ海辺のカフェでお茶をしました。
親切なローランド 7ヶ月の男の子のパパです。

お茶代も出してもらい、一度別れてまた夜7時にホステルまで迎えに来てくれるとの事。
英語下手な私達なのに、なんでこんなに興味を持たれたのか分かりません。
集合時間が微妙だったので、ご飯を一緒するのかどうか分からず、少しだけ食べて19時にホステル前で待ちました。あまり遅れず車で到着。
「サランダの城は見たか?」と聞かれ「有る事も知らなかった。」と言うと街の丘の上まで車で上がって行きます。上には城跡らしき所におしゃれなカフェが有りました。街を見下ろす夜景もキレイだし、星もたくさん見えました。
素敵なお店を知っていて常連だし、サランダにもティラナにも家を持っていて、高級車も持ってるローランドは、この国においてかなりのお金持ちなんではないかと思いました。
カフェでは、トラディショナルなケーキを勧められたので食べてみる事に。シロップ漬けのケーキで甘い。

「夕ご飯は?」と聞いてみると、友達の家でBBQだと言うので会計を。ここはさすがに「私達が出します!」と言い車で送ってもらいます。途中ローランドの会社が手掛けたビル(マンション?)を車から見上げる。カッコいい建物でした。

2010年11月15日月曜日

11日は、ティラナからサランダ(アルバニア)まで

11日は、朝ご飯を食べると、宿に大きい荷物を預かってもらい、南の方サランダまで移動しようとバスを探します。
バスターミナルは無いし、情報不足なので、サランダ行きのバスが停まる交差点がイマイチよく判らず、着いた交差点では途中の町フィエル行きのバスばかり。
交渉の人が何人か話し掛けてきますが、サランダまで行ってくれるのは無さそう。「フィエルまで行ってバスを乗り継げばいい。」みたいな事を言ってきますが、またそこでバスを探すのは私達には至難の業なので、どうしても直行便を探したい。
この日は雨で、時々強く降ったりするので、諦めてちゃんと調べて明日トライした方がいいのかなとも思いました。
一人の人が、2人で4000レク(約3440円)でなんとかすると言ってきたので(ちょっと高いですが)待ってみます。
ようやくミニバスが見つかり出発できたのは、昼1時過ぎ。7~8時間位かかるハズなので遅くなるなぁと思いました。
しかしこのバスの運転手、かなりの飛ばしっぷりで、途中乗ってきた地元の人もはいたりしていました。
そして日も暮れ、乗客3人だけになり心細くなりました。
あともう少しかなと思うような所で、運転手がカフェで停まり、皆も降りろとゼスチャーするので、トイレもしたいので降りました。
「カフェ飲むか」みたいな感じで皆同じテーブルに座ります。私達以外のもう一人の乗客の女の人は英語が出来るようで、運転手との会話を通訳してくれたりしました。サランダまであと1時間位だとの事。その女の人もサランダまで行くと言うのでまずはホッとしていると、運転手がラキ(この辺りの国でポピュラーな蒸留酒)を飲み始めます。相方にも勧め、女の人と大丈夫なのかな?と顔を見合わせます。もう一杯飲み始め、どうやら何かを待っている様子。
途中追い抜いた大型バスがやってくると、これに乗れと言います。
大型バスの運転手にお金も渡してたし、追加料金にはならないと確認して乗り込むと、乗客に日本人夫婦が乗っていました。
大型バスは、私達よりも1時間早い12時にティラナの町を出ていたそうです。そして私達は、カフェに1時間近く待っていたのでミニバスの運転手の飛ばしっぷりがすごくよく解りました。

そして途中雨がまた降りだし、2時間位でサランダに到着しました。
その時はかなり雨足が強く、周りの道路は川のような流れ。
歩道も水没しています。

夫婦は、宿の予約はしてないけど私達が泊るホステルに行くつもりだったので一緒に宿の場所を探しました。
それらしき所に辿り着くと、「待ってたよ~」とおじさんがお出迎え。
宿の主人Tommyでした。
とても親切なTommy


宿に荷物を置いて4人で食事に行くのも、お勧めのお店を教えてくれました。

10日は、コトルからティラナ(アルバニア)まで

11月10日は、コトルからバスを4つも乗り継ぎ、アルバニアの首都ティラナまで来ました。
コトル(モンテネグロ)朝7時45分に出発し、BARバール(モンテネグロ)に9時15分に着き9時40分発のバスに乗り換え。
ウルツィニ(モンテネグロ)に10時15分に着き昼食を食べて12時半出発。
シュコダル(アルバニア)に13時50分に着いたら、直ぐバスチケットを買って、13時55分発に乗りティラナ(アルバニア)に15時40分に着きました。
直のバスが無く、相方が調べてくれた乗り継ぎが上手く行き大成功。
そういえば、出入国にパスポートコントロールは有りましたが、アルバニア入国時に10ユーロ要ると聞いていたのに請求されませんでした。2009年に廃止されたと不確かな情報も有りますが、ネットで見ると必要と書いてあったり。
アルバニアは、20年程前まで社会主義国家で鎖国政策をとっていた国です。
しかし、市場主義経済移行後の1990年代にネズミ講が流行し、1997年には破綻した為、国民の3分の1が財産を無くし暴動が起きたそうで。欧州最貧国とも欧州最後の秘境とも言われています。
そして、長らく個人の車の所有を禁止していた国なので、国内の道路整備は遅れているし、バスターミナルと言うものがまだ存在しません。
大体何処行きがここらへんの交差点に来るとだけ。
バスが着いた時もここは何処?状態なので、とりあえず街の中心地まで移動。
進む道を何度か間違えながらも、なんとか中心地に。
そこからは、調べてた通りの道を行きます。
日が暮れて見つけにくくなった頃やっと目的の宿に。
宿の飼い犬

9日は、コトル

9日は、コトルの街を散策。
コトルはモンテネグロの城塞都市で世界遺産にも登録されています。
旧市街地と急な岩山にある城を城壁が取り囲んでいます。

しかし前日からの雨と風がきつく、あまり外に出る気がしません。
昼頃やっと雨が止んだので出かけます。
城壁入口(この城壁が山の上の方まで続いています。)


聖トリプン大聖堂

城壁外の川は雨上がりにもかかわらずキレイな水でした。

山の上の城までは片道45分程、プチ万里の長城の様な城壁を登らなければいけません。
雨は止んでも風がキツくて危ないので、今回は断念。上からの景色がとても良いらしいですが、、、。

夕食は、宿の紹介のお店で5ユーロ(約565円)のセットをいただきました。
サラダとスープ

メインのソーセージ煮込み

ビールと共に

2010年11月9日火曜日

8日は、サラエヴォからコトル(モンテネグロ)へ

8日は、朝9時サラエボ発のバスに乗り、途中ポドゴリツァ(モンテネグロの首都)でバスを乗り換え夜6時前にコトル(モンテネグロ)に辿り着きました。
昼間のバス移動は久しぶり。
途中の渓谷の景色はキレイでしたが、岩山をくり抜いただけのトンネルや落石の跡などちょっとスリリングな山道を通りました。


バスに乗っている時は大雨が降ったり濃い霧だったりしましたが、着いた時には雨は止んでました。
コトルは、港町で旧市街のため、城壁の入口の門までは分かりやすく辿りつけたのですが、城壁内は道が入り組んでいて分かり難い、、、。
やっととらえたWi-Fiで、宿の場所を確認しようとしていると、建物の中からお兄さんが出てきた。
「ここのホステルは、どうだい?」と言うので、「予約している宿がある。」と答えると、「なんていう所?」と聞くので「モンテネグロ ホステル」と答えると「ここがそれだよ!」との事。
看板がちゃんと出ていない宿が多いのでホントにいつも迷って困ります。しかし今回は、ラッキーだったのかなぁ。